◎ Archive: あれやこれや

1934 Gibson L-12 (16inch body)

16インチボディのL-12は、L-5に次ぐ高級モデルだったようです。見た限り、マテリアルはL-7とほぼ同等ですが、細部の上等な加工やゴールドパーツの採用、そしてインレイのデザインが凝ったものとなっています。

Gibson社のカーブドトップギターのレギュラーラインアップが17インチボディになる頃、このL-12のデザインや仕様は17インチL-7に受け継がれ、L-12のデザインは違うものになりました。16インチL-7のデザインはそのままL-4に引き継がれます。(L-4の17インチモデルはありません。)

この記事の投稿時現在、この楽器はeBayに$6600で出品されています。

Street No Chaser 2014年11月2日東京ライブのお知らせ

Street No Chaser

新宿アコギの会で大阪ツアーした時に、対バンやメンバーのギタリストとして参加して下さった岩岡眞弘さんが、11月2日に、ご自身のバンドで東京でライブをされます。ご本人からメッセージを頂きましたので、ご案内いたします。ご都合付きましたらご来場ください。

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1934 Gibson L-5 Carl Kress

以前ARCHTOP.COMで販売されていたものです。ARCHTOP.COMから写真を拝借しました。

シリアルが#91615ということですので1934年製ですが、この形のペグヘッドは1935年半ばから17インチギターに採用されて行きましたので、カスタム・モデル以前にプロトタイプでもあったのではないかと考えられます。

Carl Kressはギターのチューニングを6弦からBb-F-C-G-B-Dに調弦しています。低音4本はテナーバンジョーのC-G-D-Aの1音下、高音4本はプレクトラム・バンジョーのC-G-B-Dとユニゾンというわけで、バンジョー奏者出身であることが簡単に想像できます。かなりレアな調弦でメリットがあるのか無いのか分かりませんが、現在でもMarty Groszがこのチューニングでプレイしています。

バンジョー奏者出身であったのが理由かどうか分かりませんが、このギターの指板インレイはGibson MastertoneのNo.5(TB-5、RB-5、PB-5)と同じデザイン(ギターのL-12も同じだった)で、ペグヘッドのインレイはMastertoneがラインアップされる前のNo.5バンジョーのペグヘッドインレイと同じになっています。

1923 Gibson L-5

Loyd LoarはGibson社の楽器の近代化に貢献した人物で、ルシアではないがアイデアをたくさん持った製品プロデューサだ。彼の業績の最も有名なものとしてGibson F-5マンドリンがある。バイオリンの構造をマンドリンにアダプトし、カーブドトップ+F穴というレギュレーションを開発した。今日ではLoyd Loar在籍中の1922年から1924年のLoar署名入りF-5モデルは日本円で数千万という高値で取引されている。

当時は、マンドリン音楽が流行し、マンドラ、マンドセロというマンドリン族の楽器もF-5と同じ構造で設計開発され、それぞれH-5、K-5というモデル名が付けられた。特にマンドセロのK-5はギター型のボディを持っており、それを元にして開発されたのが有名な16インチサイズのL-5だ。

L-5は1922年から作られたかもしれないが、現存確認されている最古のものは1923年6月6日製造のシリアル#73718の個体だ。まだ、試作段階にあったのかもしれないが、ペグヘッドの形状や塗装等が後の16インチL-5と異なる。そして、Virzi Tone Adapterという妙な内部音響構造物がLoyd Loar設計の特徴であるが、この楽器にはついていない。

いずれにせよ、歴史的な一台である。(Mandolin Archiveより写真を転載)

1928 Gibson TG-L5

有るのか無いのか謎だったL-5の4弦テナーモデルの写真をネットで見つけたので勝手に転載。

16インチL-5の特徴であるスネークヘッドとフラワーポットインレイが実装されていないが、1928年にカーブドトップテナーギターが存在していたことが驚きだ。

Condon’s Plectrum Guitar

Facebookで見つけた貴重な写真。
Eddie Condonは古くは4弦バンジョー奏者だった。テナーもプレクトラムも演奏したように思われるが、自分名義のバンドで活躍するようになってからは、プレクトラム・スタイルの4弦ギターが彼のトレードマークになった。
戦後の写真では、バンジョーのPB-250ネックをギターボディにつけたようなGibson Eddie Condon Customを弾いているものが多いが、Eddie Condonと言えば、このファンシーインレイが付いたL-7Pだ。
LP時代のアルバムジャケットでEddie Condonがこのギターを持った写真を見たことがあるが、鮮明な生写真は貴重。
そしてこの楽器が動態保存されているという事実もうれしい。

D’Angelico L-5 copy

ご機嫌なFats Waller and his Rhythmの演奏。
Fats Wallerと言えば、ギターはAl Casey。
Al Caseyの弾いているギターは16インチのGibson L-5に見えるが、実はD’Angelico製のL-5コピーなのだそうだ。

以下、瀬谷徹さんのFacebook投稿から引用。

D’Angelico Guitars

1932年からの初期はGibson L-5 のコピー・モデル、年代から1929年製のGibson L-5 を参考にしたのだろう。ただし、Gibson L-5 は16-inch だがD’Angelico は16.5-inch のようだ。Gibson L-5 に比べ、低音が膨らんで聴こえるのはここいら辺か?

1936年からオリジナル・モデルを発売する。
Style A : 17-inch、パラレル・ブレイシングだが、僅かにX・ブレイシングも存在する。ドット・インレイ、発売当時はGibson L-10 と同じ$150

Style B : 17-inch、パラレル・ブレイシングだが、僅かにX・ブレイシングも存在する。ブロック・インレイ、発売当時はGibson L-12 と同じ$200

Excel : 17-inch、X・ブレイシング、私たちがよく知っているヘッド・デザイン。ただし、New Yorker のような階段型テイルピースになるのは1943年から。発売当時はGibson L-5 と同じ$275

New Yorker : 18-inch、X・ブレイシング、ゴールド仕様。発売当時はGibson Super 400 と同じ$400

1938 L-7

1951年の映像。1938年製と思われるGibson L-7のコードカッティングが素晴らしい。

通常ジャズバンドはギタリストは一人だけなので、Charlie Christian以降の電気ギターでソロを取るのが当たり前になった時代にはピックアップ付きのホローボディギターを使う。(もちろんアコースティックを使った例外はいくらでもあるのだが。。。一般論としての話。)
なので、この時代にはアコースティックなカーブドトップギターはマーケット的にはプライオリティが低くなったと考えられがちだが、カントリーバンドでは電気ギターがソロを取るようになっても、バンドには数人のギタリストが居り、リズム・ギタリストはかなりの確率でアコースティック・カーブドトップギターを使用していた。21世紀になってもGibson社がカーブドトップギターを販売するのは、このカントリー・ミュージックが今でも確実にマーケットになっているからだ。

Most Famous L-5

アコースティックのGibson L-5で弾かれた曲として、たぶん最も有名な曲はOriginal Carter Familyの「Wildwood Flower」だろう。

この曲は、1928年5月10日に義兄A.P. Carter(vo)、実妹Sara Carter(vo, ah, g)、Maybell Carter(vo, g)のトリオで初録音している。この録音で、買ったばかりの1928年製16インチL-5が使われている。
この曲のイントロや間奏で弾かれる、俗にいうところのカーターファミリーピッキングのソロギターが、それまではフィドルやバンジョーが主役だったカントリー・ミュージックの世界で、ギターを一躍主役にした。そして、現在でもアコースティックギターの入門曲としてアメリカでは誰もが学ぶ曲となっている。

この映像は1950年代中頃のもので、Maybell Carterと彼女の娘たちで組んだCarter Sistersの演奏だ。この時代に、すでにテイルピースとペグが交換されている。

後方で弾かれているL-5はおそらく1940年代後半のものと思われる17インチモデルでMaybellの16インチとの対比が面白い。

1928 Gibson L-5 previously owned by Mother Maybell Carter

www.gruhn.comから写真を転載。

このギターを弾いたMother Maybell Carterがカントリー・ミュージックを産んだというのは有名だ。

1927年のBristol録音のギャラで一番高いギターを買うことにして、このギターを新品で買ったとのこと。当時南部で一般的だったMartinのトップオブザラインよりも高かったということが分かる逸話だ。

Maybellの死後、ナッシュビルのグルーン・ギター・ショップが$575,000で人手に売るまでは、60年近くワンオーナーの現役の楽器としてショービジネスの最前線でMaybellが演奏した。
長きに渡る現役楽器として何度もリペアや調整が行われたことは想像に難くない。消耗の激しいパーツ類は都度最新のものに換装されたようだ。