Facebookで見つけた貴重な写真。
Eddie Condonは古くは4弦バンジョー奏者だった。テナーもプレクトラムも演奏したように思われるが、自分名義のバンドで活躍するようになってからは、プレクトラム・スタイルの4弦ギターが彼のトレードマークになった。
戦後の写真では、バンジョーのPB-250ネックをギターボディにつけたようなGibson Eddie Condon Customを弾いているものが多いが、Eddie Condonと言えば、このファンシーインレイが付いたL-7Pだ。
LP時代のアルバムジャケットでEddie Condonがこのギターを持った写真を見たことがあるが、鮮明な生写真は貴重。
そしてこの楽器が動態保存されているという事実もうれしい。
ご機嫌なFats Waller and his Rhythmの演奏。
Fats Wallerと言えば、ギターはAl Casey。
Al Caseyの弾いているギターは16インチのGibson L-5に見えるが、実はD’Angelico製のL-5コピーなのだそうだ。
以下、瀬谷徹さんのFacebook投稿から引用。
D’Angelico Guitars
1932年からの初期はGibson L-5 のコピー・モデル、年代から1929年製のGibson L-5 を参考にしたのだろう。ただし、Gibson L-5 は16-inch だがD’Angelico は16.5-inch のようだ。Gibson L-5 に比べ、低音が膨らんで聴こえるのはここいら辺か?
1936年からオリジナル・モデルを発売する。
Style A : 17-inch、パラレル・ブレイシングだが、僅かにX・ブレイシングも存在する。ドット・インレイ、発売当時はGibson L-10 と同じ$150Style B : 17-inch、パラレル・ブレイシングだが、僅かにX・ブレイシングも存在する。ブロック・インレイ、発売当時はGibson L-12 と同じ$200
Excel : 17-inch、X・ブレイシング、私たちがよく知っているヘッド・デザイン。ただし、New Yorker のような階段型テイルピースになるのは1943年から。発売当時はGibson L-5 と同じ$275
New Yorker : 18-inch、X・ブレイシング、ゴールド仕様。発売当時はGibson Super 400 と同じ$400
1951年の映像。1938年製と思われるGibson L-7のコードカッティングが素晴らしい。
通常ジャズバンドはギタリストは一人だけなので、Charlie Christian以降の電気ギターでソロを取るのが当たり前になった時代にはピックアップ付きのホローボディギターを使う。(もちろんアコースティックを使った例外はいくらでもあるのだが。。。一般論としての話。)
なので、この時代にはアコースティックなカーブドトップギターはマーケット的にはプライオリティが低くなったと考えられがちだが、カントリーバンドでは電気ギターがソロを取るようになっても、バンドには数人のギタリストが居り、リズム・ギタリストはかなりの確率でアコースティック・カーブドトップギターを使用していた。21世紀になってもGibson社がカーブドトップギターを販売するのは、このカントリー・ミュージックが今でも確実にマーケットになっているからだ。
アコースティックのGibson L-5で弾かれた曲として、たぶん最も有名な曲はOriginal Carter Familyの「Wildwood Flower」だろう。
この曲は、1928年5月10日に義兄A.P. Carter(vo)、実妹Sara Carter(vo, ah, g)、Maybell Carter(vo, g)のトリオで初録音している。この録音で、買ったばかりの1928年製16インチL-5が使われている。
この曲のイントロや間奏で弾かれる、俗にいうところのカーターファミリーピッキングのソロギターが、それまではフィドルやバンジョーが主役だったカントリー・ミュージックの世界で、ギターを一躍主役にした。そして、現在でもアコースティックギターの入門曲としてアメリカでは誰もが学ぶ曲となっている。
この映像は1950年代中頃のもので、Maybell Carterと彼女の娘たちで組んだCarter Sistersの演奏だ。この時代に、すでにテイルピースとペグが交換されている。
後方で弾かれているL-5はおそらく1940年代後半のものと思われる17インチモデルでMaybellの16インチとの対比が面白い。
1928 Gibson L-5 previously owned by Mother Maybell Carter
www.gruhn.comから写真を転載。
このギターを弾いたMother Maybell Carterがカントリー・ミュージックを産んだというのは有名だ。
1927年のBristol録音のギャラで一番高いギターを買うことにして、このギターを新品で買ったとのこと。当時南部で一般的だったMartinのトップオブザラインよりも高かったということが分かる逸話だ。
Maybellの死後、ナッシュビルのグルーン・ギター・ショップが$575,000で人手に売るまでは、60年近くワンオーナーの現役の楽器としてショービジネスの最前線でMaybellが演奏した。
長きに渡る現役楽器として何度もリペアや調整が行われたことは想像に難くない。消耗の激しいパーツ類は都度最新のものに換装されたようだ。
ARCHTOP.JPドメインを取得できたのでサイトらしくしてみようと思います。